2005年01月12日

思い出の俺様ウェポン 「初代 93R」

※月刊みりさばの移動に伴ってミリブロに転載された過去記事です。

思い出の俺様ウェポン
「初代 93R」

 懐かしの俺様ウエポン。今回はガスハンドガンの黎明期にその名をとどろかせたMGCのベレッタ93Rの登場です。

 当時モデルガンのみを販売していたMGCがその技術力を結集してエアガン業界に参入した記念すべき第1作目がこのセミオートガスハンドガン「ベレッタ93R」でした。
 MGCの力の入れようも相当な物で、ちょうど93Rが登場した映画「パリ警視J」とタイアップ、新聞広告に映画の宣伝といっしょにガスガンのプレゼントが載ったりもしました。ただし、パリ警視Jはアクション映画じゃなかったので93Rの活躍のシーンはほとんどなかったのですが...
 実は当時、ガスガンはすでにフルオートガスガンではJACがバトルマスターI、セミオートガスガンではウェスタンアームズがセミオートライフルのAR-7を発売しており、業界初のガスガンでなかったにも関わらずその完成度の高さ、そしてハンドガンというコンパクトさが受け、あっという間にガスガンのスタンダード的な存在になっていきました。

 セミオートハンドガンという銃は「近距離戦にめっぽう強い」「隠密行動が可能」「ちょっとでかいがサブウェポンとして使える」といろいろな要素を持っていたためブッシュの中に忍者のように隠れるゲーマーを生み出したり、連射のきかないライフル使いは近距離専用のサブウェポンとして93Rを持ったりと戦場では大活躍をしました。
 珍しいところでは、93Rの後期型モデルは映画「ロボコップ」に出てきた銃にカスタムされたモデルも発売されました。この「ロボコップカスタム」はその外観の良さから「ロボコップ2」のアクション用のプロップガンとして使用され、当時MGCにはその購入時の写真と証明書が店内に飾ってありました。モデル品が本物の映画の銃になってしまうというのはなかなか珍しいことではないかと思います。
 その後、いろいろなメーカーからガスガンが発売され、ガスハンドガンは珍しくはない銃になっていきました。しかし、どうしても私のようななつかしい人にはガスハンドガンというとまず93Rが頭に浮かんでしまうのです。



  

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2005年01月11日

思い出の俺様ウェポン 「KG-9」

※月刊みりさばの移動に伴ってミリブロに転載された過去記事です。

思い出の俺様ウェポン
「KG-9」

懐かしの俺様ウェポン。今回はかつて第9話に登場した名銃「スーパー9」の宿敵といわれ、戦場で人気を2分した名銃「KG-9」の登場です。

 この銃の非常に珍しいところは「実銃がものすごくマイナー」なところにつきるでしょう。普通エアガンっていうのは知名度が高かったり、映画によく登場しているような人気がある銃をモデル化するもんですが、この銃は実銃が全くといっていいほど知名度がありません。
 どこかの軍隊で正式採用されているわけでもありませんし、映画によく出てくるような銃でもありません。どうしてそんな銃をモデル化したんだよマルゼン!

 まぁ当時は実銃がない銃だって沢山モデル化していたし、いかにも「マシンガンですよー」って感じの形しているってあたりが採用理由だと思うのですが私は未だにこの銃の実銃を見たことがありません。
 そんな実銃がとってもマイナーなKG-9でしたが、コンパクトで使いやすいこの銃はサバイバルゲーマーの中では非常に好評で戦場では大活躍していました。マルゼンのこのシリーズは同じ設計でライアットショットガン、MINI-UZIなども発売されていたのですが、KG-9がもっとも使用されていました。ガスガンが出現するまでは中~近距離の王者であり、遠距離の王者スーパー9と激しい戦いを繰り広げていました。
 また、マルゼンの中によほどのKG-9好きがいたのか作りやすかったのか不明なんですが、この銃は時代に合わせて非常に沢山の種類のモデルが発売されたのもおもしろいところです。
 コッキング形式の銃に始まり、セミオートのガスガン、フルオートのガスガン、なんとブローバックモデルのガスガンまで発売されています。
 マルゼン以外からもエアガンが発売されたり、サウンドガンや水鉄砲もモデル化されていたのは間違いなくマルゼンの影響で水鉄砲あたりは間違いなく実銃を見ずに作成されているのはまちがいないところ!きっとこの銃が作られている国でもここまでおもちゃ化はされていないでしょう。
 しかし、残念ながら戦場で人気を2分するほどの名銃は初代のコッキングシリーズのみ、あとはあまりぱっとしないまま生産終了となっていたようです。
 でも個人的にはこれだけの種類が発売されたんだから是非電動ガン化されてエアガン発射システムを全制覇してほしいと思うのは私だけでしょうか?っていっていたらモデル化されそうで怖いなぁ(2002年11月現在)....
  

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2005年01月10日

思い出の俺様ウェポン 「スーパーオートマグ」

※月刊みりさばの移動に伴ってミリブロに転載された過去記事です。

思い出の俺様ウェポン
「スーパーオートマグ」

 懐かしの俺様ウェポン。3回目は前回紹介したスーパー9と同じメーカーの超巨大ハンドガン「スーパーオートマグ」をご紹介~。
 この銃の特徴はなんといってもその巨大さ!さすがマグナム拳銃やっぱでかいぜとか子供の頃は思っていましたが、改めてみると、単にオーバースケールなだけだということに気づきます。よくみてみれば細かいディティールなどは全然違いますね。ポンプとブローバック機構の都合でエジェクションポートの位置がえらく前にあるため、機関部が妙に長くなってしまい、全体的にばかでかい銃になってしまっているんですね。
 このメーカーの銃はどうしてもエジェクションポートの後ろに長いポンプが必要な設計になっていたらしく、同社のコルトガバメントシリーズ70やスーパーモーゼル(これがまたえらいばかでかい銃なんだが)はブローバックするとポンプが銃の後ろからにょっきりと顔を出します。オートマグは実銃がそのへんを上手くごまかせるデザインだったのが幸いしてそこそこの人気モデルでした。

 この銃の一番おもしろいところはブローバックのものすごい反動でした。なんせこのばかでかい銃のカートリッジをイキオイ良くとばすため、ものすごいイキオイでブローバックします。「おおぅっ!これがマグナム銃の反動ってやつなのかぁ(違うよ!)」って感じのブローバックは今でも忘れることはできません。
 サバゲー的にはサブウェポンとして腰に下げておくにはあまりにもでかすぎるためあまり活躍はしていませんでした。しかし「カスタム度合いによってはライフルより飛ぶ」ともいわれる強力なパワーからメインウェポンとして活躍している戦場もあったようです。
 やがて、他のメーカーから「ちゃんとしたサイズの」オートマグが発売され、設計も古く、なんといっても「なんとなくそうみえるけど詳細は全く違う」というスーパーオートマグはエアガンコーナーの棚から姿を消していきます。それでも私のような年代の人には「キョーレツなでかさと反動」のマグナム拳銃として記憶に残る名銃なのでした。



  

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2005年01月09日

思い出の俺様ウェポン 「スーパー9」

※月刊みりさばの移動に伴ってミリブロに転載された過去記事です。

思い出の俺様ウェポン
「スーパー9」

 なつかしのエアガン第2回はなつかしのエアガン「俺的もっともメジャータイトル」のスーパー9を取り上げてみようと思います。

 こいつも前回のバッファローと同じく実在する銃はありません。でも、バッファローシリーズよりは実銃テイストな感じですけど....
 この銃は元々マクロスのプラモなんかで有名だったタカトクトイスって会社から発売されていましたがこの会社が倒産しちゃってその後いろんな会社から発売されています。名前もSS-9000、SS Super-9、UX Super-9と変わったりしています。ここではめんどくさいのでスーパー9で統一します。

 この銃を一言でいうとすれば「カスタムするとものすごい銃」でしょう。そう!箱から出した状態では全く駄目とはいいませんが正直使い物になりません。だけど、カスタムパーツを購入してばりばりと組んで調整すればあら不思議!超一線級のエアガンに大変身します。
 丈夫でシンプルな機構、分解がものすごく簡単という条件を取りそろえたこの銃はカスタム好きのゲーマーとパーツ作成の好きなパーツ業者によって続々と高性能のパーツ、見栄えの良いストックなどが開発されていきました。
 全盛期のころはほぼすべてのパーツが発売されていました。本当に本体買わなくてもいいくらいパーツがでていました。おそらくでていなかったのはフレームをとめるネジ位だったと思います。

 私も結構いじりました。ただ、きちんとしたパーツが出そろう前だったんでパイプやらパテやらで自作した自作派でしたが...
 機構も簡単だしいじると見違えるように性能が上がるのでなかなかおもしろい銃でした。自作の銃は時々パーツがとれたりして瞬間接着剤が常備品になったりする難点もありましたが(それは自分のせい)。

 おもしろいところではこの銃はTVドラマ「大陽にほえろ」にスナイパーライフル役として登場したこともあります。ストックと本体が簡単に取り外せるので暗殺者が鞄からこの銃を出して組み立てて...ってシーンで使用される銃に抜擢されたんですね。しかし、表面処理がおもちゃっぽいこの銃をTVドラマに登場させるには当時でもちょっと無理があったような感じがしました。
 私のスーパー9はガスガン時代の到来と共にUZIにそのメインウェポンの座を譲りましたが戦場ではまだまだ現役で唯一ガスガンに対抗できる銃として一部のカリカリチューンの銃が活躍していました。残念ながらオイラの不器用へっぽこカスタムではちょっと対抗なかったのでオイラはガスガンをメインウェポンにかえていったのでした。


  

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2005年01月08日

思い出の俺様ウェポン 第1話

※月刊みりさばの移動に伴ってミリブロに転載された過去記事です。

思い出の俺様ウェポン
「マスダヤ バッファローSSシリーズ」

 さて、俺的思い出のサバゲー記録もつい最近まできたところで今回からしばらくちょっと懐かしいエアガンを取り上げてみたいと思います。
 独断と偏見でご紹介するおいらのなつかしのメインウェポンのご紹介!それでは記念すべき第1回は私がはじめて買ったエアガン!「マスダヤ バッファローSSシリーズ」です。

 この銃を作ったマスダヤっていうのはこの当時、実銃にはないオリジナルのエアガンを沢山作っていました。サンダーボルト、ミニットマン...エアガンの弾がまだ7mmの世代の方はご存じの方も多いと思います。
 で、そのマスダヤが対象年齢10歳以上として発売していたのがこのバッファローSSシリーズです。
 この銃のおもしろいところはグレードによってカスタムパーツがいろいろとついてきまして、コレを組み合わせることによってハンドガンからライフルまで大変身してしまうトコでした。
 一番安いグレードはバレルが1種しかついてこないんですがその上のグレードはバレルが2種、それにフォアグリップがついてきてさらにその上のグレードはもっとパーツがついてきて...って段々パーツが増えていきます。フルセットのにはストック、チークパッドにスコープ(ただしコレは見かけだけでガラスが入っていない)までついているハンドガンからライフルまで大変身のスペシャルセットですが、まぁなかなか予算(まぁ子供のころですから親の予算)の都合でたいていの人はフルセットが変えなくて私が買ってもらったのも下から2番目のセットのバレルが2種とフォアグリップがついているタイプでした。
 でもね、実はそれほど本格的なエアガンじゃないのでパーツをかえたところでそんなに性能が変わる訳じゃないんだけど....それでも「カスタムパーツ付きで大変身」ってところが子供心をくすぐる夢のある(?)エアガンでした。

 機構もかなり独特でSFにでてきそうなデザインでありながら給弾機構がリボルバー形式だったりとマスダヤ式の独創性あふれるシステムが満載!実物とのディティールがどうとかっていうよりは「使って楽しむ」が優先された時代の代表的エアガンでした。パワーはティッシュペーパーの箱も抜けないものでしたから命中精度とかそんな話はしないでおきましょう。

 そんな非力な銃ですから仲間内でサバゲーみたいなことをやろうって時にコレしか持ってなかった私は「自力でカスタムスプリング」ともいえる「メインスプリングを引き延ばし(当時お約束だったのだ)」、それをレンジで焼いて焼き入れて、もう一つおまけにゲタを履かせてなけなしのパワーアップをして使いました。まぁそんなことをしたところで当時最新式のBB弾仕様の銃には勝ち目がなかったのでありますが....

 と、ちょっとへぼへぼなことばっかりかいてしまいましたが私が「エアガン」としてはじめて買った銃ですから、家の中でマッチ箱だのを相手に射的したり、本当に初期の撃ち合いなんかまで長々と活躍した思い出の銃でした。



  

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2005年01月07日

懐かしい話 第7話

※月刊みりさばの移動に伴ってミリブロに転載された過去記事です。

 さて、今回はいよいよ懐かしいというよりも最近(2002年現在)って感じの電動ガンの登場だ。
 まぁ今回はいろいろと異論もあるだろう。「これだけで解決したワケじゃねーよ」とか「ガスガン悪者にすんじゃねー」とかそう思う人もいるかもしれない。でも、当時現役ばりばりサバイバルゲーマーだった私はこんなことをすごく感じた。そんな今回の話です。
 「バッテリーをセットするだけでフルオートはもちろんセミオートまでできちゃうエアソフトガン」そんな銃が発売されたという噂を聞いたとき、そんなに期待はしていなかった。正直たいしたことないんじゃねーの?くらいしか思っていなかった。
 だって、その時の私の背中はガスガンの安定作動と長丁場のを戦い抜くため圧縮空気をつめた4リットルのエアタンクが3本も背負っているという大変な状況だったのだ。
 そんな大荷物でゲームをするのが日常となっていた私にとって銃に内蔵されたバッテリーだけで数千発も弾が撃てるなんて夜中にやっている健康器具の通 販番組並に眉唾物だったのだ。

しばらくして戦場で「噂の電動ガン」を撃たせてもらった。ガスガンとちがい銃からホースがでていないのは新鮮だった。性能は、悪くない。でもパワーアップ&カスタムした俺様の銃にはまだまだだなっ!ってそんな感じ(笑)。
 さほど気にしていない電動ガンだったが、その後M-16A1の発売をきっかけに購入してみた。で、しばらく使ってみてこいつの真の実力に気がついた!この銃は


「びっくりしちゃうくらい手間がかからないのだ!」

 TVのリモコンくらいの大きさのバッテリーが1~2本あればだいたい一日遊べる。マガジンも別 売のゲーム用のマガジンを買えば数百発の弾を簡単にセットすることができる。ただし、これはみんなが沢山弾を持てることになり、弾のばらまきあいになる傾向もできてしまったが....
 背中に重いタンクを背負って圧縮空気を必死で詰めたり、気化の不安定なガスを気にしながら使っていたガスガンに比べると格段にラクチンだ。

 そうなると自然と準備が楽な電動ガンをみんな使うようになる。電動ガンの比率が上がるとおもしろいことが起きた。サバイバルゲームのレギュレーションのパワーがだんだん下がってきたのである。
 電動ガンってヤツはパワーアップがめんどくさい。適当にスプリングだけを強力なヤツにかえるだけだと壊れてしまうのだ。ギア回りだとかきちんと考えていじってやらないとすぐにギアが破損したりしてしまうのだ。はい、ココだけの話私もはじめの頃は結構いじってみました。でも、安易なカスタムはダメだと改めて思いましたよホントに....
 それにそこまでしてパワーがほしかったのではない。調子よくてきちんと遠くまで飛んでいく銃がほしかっただけなのだ。
 それほど調整らしい調整をしなくても十分戦える銃がでたこと。準備にそれほど時間をとられなくなったことでサバゲーはかなり大人数で遊べるようになった。数百人単位 のゲーム運営も簡単にできるようになった。
 おかげで結構楽しい思いもしたし、いろんな人と出会うことができた。この辺は本当に感謝しています。いやホントですよ!


  

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2005年01月06日

懐かしい話 第6話

ミリブロ移動のための再掲載です。初掲載は2002年6月。

前回はガスガンの出始めとチューニングの話。
 今回はそのガスガンの全盛期の話だ。

 ガスガンはうちのチームだけではなく、第4話のような現象をあちらこちらのフィールドで繰り返した。そしてガスガンという新勢力の前に駆逐されてしまったゲーマーは財布を握りしめてガスガンを買いに走った。
 ガスガン全盛期の幕開けである。


 
 使ってみてわかったがこいつは確かにすごいヤツであった。多少の命中精度や飛距離不足は弾数で圧倒できる。なんとか回り込んで中距離くらいまで追いつめちゃえばガスガンに圧倒的な有利に戦うことができた。
 それに、飛距離不足や命中精度もあっという間にカスタムパーツの普及で解決してしまった。

 フロンガスの代わりに圧縮空気を使用する「エアタンク」ってヤツもあっという間に普及した。気温に左右されて圧力が変わるフロンガスと違っていつでも一定の圧力を出せるエアタンクはこのときのサバゲーの必勝アイテムだったのだ。
 フロンガスを使用したガスガンは冬場の寒い時期には動かなくなってしまう。エアタンクならばそういうことはない。こんな理由でガスガンとエアタンクは当時のサバイバルゲームであっという間に普及した。



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 ガスガンも無事にみんなに普及してめでたしめでたし...といいたいところだがガスガンが普及したことでちょっと困った問題が起きた。
 ガス圧をあげてやるとチョー簡単にパワーアップができてしまうという問題である。

 しかも、ガスガン、特にフルオートのものはほとんどそうだったんですが設定圧(一般的には3.5気圧)より少し高めの圧力をかけてやったほうが快調に動いてしまうのだっ!
 ノーマルのエアガンに手を入れてパワーアップしてしまうということは今も昔も変わらないけど正直このときは一番すごかったかもしれない。電動ガンもエアガンもパワーアップするには分解して強化パーツを入れなければならない。それにパワーアップすると決定的に銃の寿命を縮める。
 ガスガンは出力圧を変えられる可変レギュレーターを手に入れて出力圧の目盛りをくりっといじるだけでとりあえずパワーが上がる。正確には内部もこの圧力にあったチューンナップをしなきゃいけないんだけどとりあえずパワーが上がる。パワーを上げてことによって弾が曲がらずに遠くまで飛ぶので命中精度も何となく上がる。お手軽なのに効果が抜群なのだ。

 当然パワーアップの規制策として出力圧の規制や初速の判定などもあった。でも、人間お手軽で効果抜群なものには弱い。なにしろちょっとだけ圧力が強い方が調子がいいんだから。ちょっとだけ...でもその「ちょっと」ってどれくらい?これだけ?いやもうすこし?なんとなくではあるけど全体的にパワーアップな環境にあって、フィールドによってはびっくりするくらいパワーアップしていたところもあったのだ。
 この「何となくパワーアップ傾向」現象は私の回りだけではなかったと思う。このままパワーアップが進んだらどうなっちゃうんだろう?当たると痛いだけじゃすまなくなっちゃうんだろうか?

 次回、こんなパワーアップをあっという間に下げてしまった謎のアイテムに続きます。

  

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2005年01月05日

懐かしい話 第5話

※月刊みりさばの移動に伴ってミリブロに転載された過去記事です。

 さて、今回は前回フルオートガスガンという全く新しいエアガンに撃沈された我々のその後である。
 あの恐怖の事件があった翌月くらいからチームメイトは全員うわごとのように「ガスガンガスガン」と騒ぎだし当時の我がチームにも一大ガスガンブームが始まった。我々のメインウェポン近代化計画の始まりである。

 我々はあの悲劇を繰り返すまじとない金はたいてガスガンを購入した。よくわからなかったというのもあるがとにかくガスガンがほしかったのである。そんなことだからはじめの頃はガスガン神話に踊らされていてかなり無駄 な買い物もしていたような気がする。

 市場としてもまだまだできたてのガスガンは玉石混合の状態で(でも、このころはガスガンに限らずエアガンは全部そんなもんだったかもしれないなぁ)メーカーによって性能の差がすごかったり数ヶ月使っているとガス漏れがものすごくなるヤツとかいろんな物があった。そして、様々なメーカーがこぞってガスガンを開発したためだんだん値段が下がってきた。ありがたいことだ。
 エアガンを駆動させるためのガスも単なるフロンガスからエアタンクと呼ばれる圧縮空気をためた大きなタンクを背中に背負うような物がでてきた。この圧縮空気は気温に左右されやすいフロンガスの欠点を補う画期的な物だったので非常に普及したんだが、タンクが今考えると非常に大きな物だったのでこのころのサバイバルゲーマーはみんな背中にこの大きなエアタンクの入ったリュックを背負っていてまるでモビルスーツのようなありさまだったのだ。

 で、我々も最終的にはやすくなってきたガスガンを装備しこのエアタンクを背負ったゲーマーになっていくのだが、それまでの道のりはなかなか長かった。
 本体がまだまだ高かったんでパーツを買ってきてユニットだけで概観はジャンクの寄せ集めで作ってみたり、ユニットそのものをゴムだのパイプだのから作ってみたりといろんなことをやったけどそのほとんどが実戦でメインウェポンとして使えるものにはならなかった。もう、ただガスで弾が前に飛ぶだけ!
 今にしてみればお金の無駄遣い!たぶんそれにかけた資金を全部集めればまともな ガスガンの1丁くらいかえたかもしれないけど少なくても私はあんまり後悔はしてい ない。
 なんか世界に1丁の俺様専用銃をつくってるってこの感じはものすごく楽しくてそれがあまり多くない出費でできるもんだから結構はまってしまった。まぁ正確には累計するとかなりな額なんで多くない出費てぇのは嘘になるのだが.....
 このころの冗談ヒット作でフロンガスのかわりに2人組で射手の後ろに空気装填手が控えていてエアポンプを一生懸命に動かしてフルオートさせるって銃を作ったことがあった。フロンガス代も馬鹿にならない!ってことで廃物利用でこんな銃を作ってしまった。機動性が悪くてあっという間にねらい撃ちされてどうにもならなかったのだが...

 そんな感じで初期のころに自作を繰り返してきたためだろうか?我々は専門ショップでチューニングされたカスタムよりも自分の知恵とアイディアで作成したオリジナルの銃を好んで使うようになってしまった。やがてそれはより高性能なものを求めるのではなく「とにかく戦場でインパクトをとれればいいのだ!」という間違った(笑)チューニングへ走っていった。そしてそれは「それぞれが己を信じて自分理論に基づく勝手なカスタムウェポン」を模索しはじめてしまったのだ!
 多弾数、大容量を求めて巨大なタンクとどうしようもないくらいのマガジン装備の大容量 派(身動きとれねーぞっ!)、格好にこだわって実物のマガジンを改造した外見派(でも給弾性能はいまいちだった)、機関部が駆動するときの反動にとりつかれてやたら反動の大きい銃を作っていたのは....俺か....
 今回の写真はそんな我々の絶頂期の集合写真です。銃から服装から全然統一がとれていないのがわかるでしょ?
 このへんは洋服の項目でも書きましたが我々は「他人と違ったことをして戦場で自分をアピールする」ってことにこだわっちゃっていたんだな...
 コレが正しいか正しくないかは正直わかりませんが、楽しかったことは確かです。もし、機会があればみなさんも自分でパーツを組んでみたり、ストックにちょっと色を塗ってみたりフレームを塗装したりして「俺様カスタムウェポン」ってのを作ってみてください。箱出しそのまんまの銃よりいっそう愛着がわくこと請け合いです。
 最近の銃は完成度が高くて箱から出した状態でそのままゲームに持っていくことができますがちょっと前までは調整しなければなかなかきれいに動いてくれない。ちょっと調整しただけで見違えるようによくなってゲームで大活躍...そんなことを夢見て調整に明け暮れていた...そんな頃の懐かしい話です。


  

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2005年01月04日

懐かしい話 第4話

※月刊みりさばの移動に伴ってミリブロに転載された過去記事です。

 前回は服の話。で、今回はウエポンたるエアーソフトガンの歴史についてちょっと語らせてもらいましょう。

 レバーを引く、そしてトリガーを引いて発射。再装填はまたレバーを引いて....わかりやすくいえば夜店のコルク鉄砲と同じ原理。これが「コッキングエアガン」である。サバイバルゲーム初期にはこういうタイプの鉄砲しかなかったのだ。
 そこへトリガーを引くだけで弾がでるものすごい銃が登場した(今考えれば普通 だけどね)。
 今回はそんなフルオートガスガンの出始めの話。

 私が購入したSS-9000むげんスペシャルはその後私のインチキ臭いカスタムを繰り返して私なりにお気に入りの俺専用カスタムエアガンに仕上がった。この銃は設計に非常に余裕があり、いろいろといじれる銃で当時のサバイバルゲームのメインウエポンとして非常に多く使われていたのであった。

 そこに革命的な銃が発売されたのだ。
 そいつは今までの1発ごとに装弾する方式ではなく、フロンガスを使用してトリガーを引くだけでBB弾をばらまくというフルオートのなかなかすごいやつであった。
 発売メーカーはJAC、名前は「バトルマスターI」。その銃はそのコンパクトさと連射性能で今までの常識を覆すやつだった。しかし、マガジンチェンジに非常に時間がかかるとか、飛距離・命中精度がやっぱりライフルタイプのSSシリーズにはかなわないとか、冬場に弱いとかやたら高いとか欠点も結構あったのだ。この辺は私のサイトである「みりさば」の「栄光無き名銃たち」ってコーナーで紹介されているので興味ある方は参照してみてちょーだい。

 で、この銃に続いてフロンガスを使用する銃がぼちぼちと発売されはじめた。セミオートタイプのライフルやハンドガンが発売され、JACのバトルマスターIの欠点を解消した後継機を発売した。時代はどんどんガスガンへと流れはじめていたのだ。しかし、時代の流れが読めない私とチームメンバーは「やっぱりこのライフルの方がいいぜ!」なんて思って全員が例のコッキングタイプのライフルを使用していた。「連射だけの銃なんかまだまだ負けないぜっ」なんて思っていたわけだ。そう...あの日がくるまでは.....

 その日、防御ラインに完全な布陣を引いた我々ライフル部隊はゲーム前半で同じライフルタイプの精鋭部隊を損害なしで追い返し、自信満々になっていた。
 精鋭部隊を追い返したということで我々の指揮は異様に高まり、この鉄壁の防御布陣は何者にも崩せないと思っていた。
 マジノ線という無敵の要塞を持ちながら破れたフランス軍。無敵と歌われながらも歴史に残る大敗をしてしまったロシアのバルチック艦隊....無敵と思うときが人間もっとも危険なのだ。

 ゲームも後半戦になって新しい部隊が進撃してきた。例の最新型のフルオートのガスガン部隊である。我々は前半戦の時と同じように撃退するつもりだったが、フルオートのものすごい勢いの攻撃に対処できずに次々と撃破されていった。
 なんせこっちはコッキングタイプのライフルである。こっちが1発撃つ間にむこうは数十発も撃ってくる!津波のようなこの攻勢に我々の鉄壁の防御はあっという間に崩れてしまった。
 で、この強烈なフルオートは私のいたヤブにも容赦なく襲いかかってきた。やばい!やられると思った私はとっさに戦友のの後ろに隠れ、彼の体を盾にした。
 「ばばばばばばばばばばばば..プシュー」
 フルオートの全弾は彼の全身に命中!そこで弾切れの隙をついて私は彼の体を離れて脱兎のごとく逃げ出した。
 逃げ出しながら私の頭のなかには「電撃戦で圧倒的な火力で駆逐するドイツ軍」だの「信長の新兵器鉄砲隊に破れる武田騎馬軍」といったイメージがぐるぐるとまわっていた。
 米軍の自動小銃の圧倒的な火力に38式歩兵銃で対抗した日本兵もこんな気分だったんだろうかひぇー!などと考えながら陣地の最終防衛ラインへ逃げていく私。結局この最終防衛ラインも全く同じような壊滅状態となってしまったのであるが.....

 恐るべきガスガン!時代はもうガスの時代だ!と、この日を境に我々のチームはガスガンの普及率が非常に高まり、脱コッキングライフルの道を歩んでいくのであった。

 人は痛い目を見ないとなかなか今の安定した環境を変えることができない。

 まぁ今回はそんなお話でした。

  

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2005年01月03日

懐かしい話 第3話

※月刊みりさばの移動に伴ってミリブロに転載された過去記事です。

 前回は迷彩服を買って迷彩効果抜群になる予定だったのに逆に普段着より目立つ服を買ってしまったおいらのプロローグでした。で、今回はその目立ちすぎる人民服の本領発揮!

 新しい服を購入してわくわく気分で戦場にでたおいらですが予想外の出来事になりました。
 ものすごくねらわれるのです(笑)。ま、そりゃそーですね。めいっぱい目立つ服を着ているんだから....どれくらい目立つかというとその視認性は半端じゃなく野原で200m先から見つけられたという報告があるほどすさまじーものでした。
 後悔先に立たず!しかも当時は貧乏ひまばっかりの学生の身。すでにエアガンで有り金はたいていた私に新しい服を買う財力などあるわけもなくこのブルーの人民服は当分の間私の戦闘服として使用するしかないことになってしまったのです。
 
 そんなわけでハデハデの人民服でデビューした私のサバゲー生活は普通の人とちょっと変わった道をたどることになります。草陰に隠れてなんて夢のまた夢。隠れることができないので自然と走りが主体になって、回り込むような戦法が多くなります。せっかく買った銃はスナイパーライフルともいうべきスーパー9なのに走ってばっかりいます。私の初期のサバゲーライフはこんな風に始まったのでした。

 しかし、悪いことばっかりではありません。このハデハデ人民服にも実はいいことが結構ありました。一度あった人は必ず相手が私のことを覚えているのです。だって戦場はもちろんのこと休憩場所でも目立つし、こんな変な服を着ている人は他にないんですから。そして、また遊びに行ったときも仲良くなれるわけです。これは、この遊びを始めるにあたって非常にありがたいことでした。

 ここを読まれている方はこれからサバゲーデビューする人なんて人もいるかもしれません。ちょっと心の中にとめておいてほしいのは、迷彩 服っていうのは「隠密行動を助けるための服」とか「野山を走り回るので汚れてもいい動きやすい服」って役割だけじゃないんです。「自分を表現してアピールするコスチューム」って役割もあると思います。雑誌にはあまりこういう役割はかいていないけどね。
 対戦やサバイバルゲーム大会みたいなイベントに参加すればいろんな人とであいます。そして自分も含め、一緒に戦った人(もしくは対戦した人)の記憶に残るのは顔よりも服装なんです。そしてまたいつの日かその人たちと会って、戦うかもしれません。そのときにお互い覚えていたらなんだか楽しいじゃないですか!

 でもね、なにも私と同じように変な服を着ればいいって訳じゃありません。これはこれで欠点もいっぱいあったしね(笑)。
 たとえばIhagunからウッドランド迷彩服を買ってただたんにきてみるだけじゃなくて、パッチなんかもつけてみて他の人と差別 化してみる。迷彩服だけじゃなくてベルトとか装備品も買ってかっこよく決めて戦場じゃ迷彩 効果が高いけどフィールドではかっこよく目立つ自分をコーディネイトしてみる。
 と、こんな風に決めてみるのはどうでしょうか?格好がおもしろければ初めてあった人とも話が弾んで一日がもっと楽しくなるかもしれません。その楽しさのためだったらちょっとくらい装備が過剰になったってパッチがめだったって気になりません。
 なんてったってサバイバルゲームは遊びなんですからその一日を楽しんだ人が一番の勝利者なんですから!
 これがうっかり目立つ格好でサバイバルゲームデビューしてしまった私が思ったことでした。今でもその思いは変わりません。でも、あんな目立つ格好はさすがにしませんが....

 さて、懐かしい話はまだまだ続きます。次回はサバイバルゲームに革命を起こしたフルオートガスガンの話です。こうご期待!
  

Posted by さめ ひろし at 23:09Comments(0)懐かしい話

2005年01月02日

ちょっと懐かしい話 第2話

ihagunの移動による再掲載です。初掲載は2002年2月でした。

 さて、前回無事にカスタムガンを購入し、念願の本格的サバゲーデビューをはたしたおいらでありましたがサバゲーへの道はまだまだ始まったばかり、ちょっと懐かしい話はまだまだ続きます。

 銃を買ってサバゲーにでたら次は服がほしくなりました!やっぱり「汚れてもいいお古のGパン」とかでやるよりもかっこいい服できめたいっ!だってみんないろんなふくをきてるんだもーん!。
 と、迷彩効果とか動きやすい服とか、そんなことがサバゲー用ウェア購入の目的ではないところがそもそもの私のカンチガイでそれがまた悲喜劇のはじまりだったとは当時高校生の私は微塵も気がつかないのでありました。

 で、どんな服を買ったのか?実は、初サバゲーに参加した後、おいらは「人民服」がなんだかむしょーにほしくなっちゃったのだ。
 でも、それは中国人民解放軍が大好きとかそんな理由ではなくて、初めてでたサバゲーでかっこよく活躍していた人が着ていた服が人民服だったからなのだ!
 その人は回り込み戦法を非常に効果的に使っていて、突然横から後ろからと意表をついた方向から攻め込み、KG-9というサブマシンガンをガシャガシャ(注:当時の銃はフルオートではないのでこういう表現になります)うちまくっていた。おおっ!すげぇ!かっこいい!この人みたいになれたらいいなっ!

 と、初めてのサバゲーでこんな風に思ってしまったおいらは人民服で戦場を縦横無尽に走り回ってやろうと横浜の中華街へくりだした。中国人民解放軍の大量 削減によって日本市場に払い下げの人民服があふれ出すのはまだまだ先の話。このころは人民服を買うには中華街あたりでないと手に入らなかったし結構高かったのでありました。
 しかし、どうも運が悪かったようでなぜか緑色の人民服が品切れ中。唯一あったのが青の人民服だった。
 うーん...困ったなぁ...でもやっぱ人民服ほしぃよなぁ...まぁ、青も緑もにたようなもんだよなぁ...
 とか悩むこと数十分後、そこには「緑も青も同じ」という思いっきり間違った思考で自分を納得させ青の人民服をわくわくしながら買った高校生の浅はかな自分がいた。

 その浅はかな考えが間違っていることに気づくのは戦場にでてしばらくなってからのことである。

 実は青ってサバゲー的にはやたらめだつのである。初心者がカモられてしまうのも、たいてい、Gパンなんかをはいていくため、めだってねらわれるって部分もあるのだ。以外と地味な色なんでそれほどめだたないだろうなんて考えている方もいるかもしれませんが、実は青は意外とめだつのだっ。

 で、おいらは何もわからずにそのめだつ色で上下帽子までそろえてしまった。しかも、ろくにバイトもしないで遊びまくっている貧乏高校生のおいらは間違っていたからといってすぐに次の服が買えるほどお金を持っていなかったので、しばらくの間この奇妙な人民服のまま戦うことになるのであった。。

 さて、ちょっとした(?)カンチガイで迷彩効果抜群の軍服を買う予定だったのに民間用の青の人民服などを買ってしまったおいらはどうなるのでしょうか?
 その辺の笑うしかない事件の数々は次回に続きます。
  

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2005年01月01日

懐かしい話 第1話

※月刊みりさばの移動に伴ってミリブロに転載された過去記事です。
 初連載は2002年1月でした。

 ここを見ているみなさんはサバイバルゲームをやっている人でしょうか?それとも興味ある人でしょうか?
 もしかしたら、以外と全然興味なくて「Ihagunのおまけだからっ」で見ている人かな....

 そんなわけで最近サバゲーになかなかいけないのにサバゲー記事を書いておりますさめ ひろしです(とほほ)。
 で、今回からしばらく昔の話をしたいと思います。ちょっとなつかし気分でお送りする「ちょっと懐かしい話」(そのままやん)。昔コッキングのエアガンで遊んでいた世代の方は懐かしい気分で、最近の方は昔はこんな感じだったんだぁ...って感じでお楽しみいただければいいなぁ...
 それではまずだい1回目!私のサバゲー初体験の話からすることにしましょう。

 弾がでないけどリアルさに勝るモデルガンと弾が発射できるエアガン。まだ、モデルガンが全盛だったのころ。まだまだサバイバルゲームなんて言葉は出たての頃のことである。
 当時、モデルガン&エアガン好きだった私と、同じ中学校時代からの悪友数名は集まるとモデルガンで遊んだり、近所の公園にエアガンを持ち寄ってちょっとした撃ち合いなどをして遊んでいた。そう、私のモデルガンの買い方撃ち方なんてえのはみんなこいつらから教わったみたいなもんだ。

 まぁこのエアガンの撃ち合いごっこも「サバイバルゲーム」といえばそうなんだけど、これはどっちかっていうと銀玉 鉄砲の撃ち合いの延長線みたいなもんだった。実際サイドアームのハンドガンは銀玉 鉄砲だったしなぁ....

 そんなことをして遊んでいた我々だったが、ある日、 『もっと本格的で大きなエアソフトガンの撃ち合い「サバイバルゲーム」って遊びが定期的に開かれていて、それが近所のカスタムショップ(エアガンのチューニングショップのことだ)で参加できる』  って話を誰かが聞いてきた。で、それならみんなで参加してみようぜ!っていうのが私のサバイバルゲーム道への第一歩だったのである。  が、その一歩を踏み出すには一つの問題があった。その問題とは私の持っていたエアガンであった。当時、私はマスダヤのバッファローSSシリーズというエアガンがメインウェポンだった。  こいつは対象年齢が10歳以上!威力はティッシュペーパーの箱すら跳ね返される非力なエアガンで仲間内で遊ぶにはなんとかなったけど、ホンカクテキサバイバルゲームに参戦するには着距離、命中精度、その他いろいろのものが足りなすぎた。鈴鹿の8耐にチャリンコで参戦するようなものといえばわかってもらえるだろうか?

 鈴鹿にチャリンコで参戦してもしょうがないので私は奮発してカスタムショップ特製の「SS-9000むげんオリジナルカスタム」ってエアガンを買った。  ちなみに、カスタムショップ特製といってもそれは昔の話。今の市販品のエアガンと比べると飛距離、命中精度ともに全然たいしたことない。装弾数だってたったの5発だ。それでも対象年齢10歳以上に比べればものすごい進歩で命中精度なのだ。

 でも、こいつはいろいろとチューニングのベースとしておもしろい銃で、いろいろとカスタムしながらガスガンのサブマシンガンを買うまでのよき相棒として戦い抜くことになるのである。

 で、カスタムエアガンを購入して参戦した初のサバイバルゲームであったが、ビギナーズラックで大活躍...ってことは実はなく、カモにされたり、後ろに回り込まれて撃たれたりと大変な一日だった。まぁ、でも初めての大規模なゲームなんだからこんなものなんでしょう。

 そんなことよりも仲間内の撃ち合いではないサバイバルゲームっていうのは非常におもしろかった。やっぱ人数が多いと違うなぁ...よしっ!是非また参加しよう!何人かが着ていた迷彩 服なんかもできればそろえたいなぁ...なんて考えながら家路についた。  そんなことがちょっと前のように思っていたが、もう10数年前のことだ。

 それから私はエアガンをひっさげていろんなところでサバイバルゲームをやるようになった。はじめは単なる着替えだった迷彩 服にも興味がでてきて「軍服」として着るようになって「ミリタリー」といった趣味にもはまるようになった。

 結局それは今まで長々と続き、ホームページまで開設するようになり、ここで伊覇軍払い下げ品店のコラムを書くまでになっちゃうだから人生なにがきっかけでどうなるかわからないものだと思う(^_^;)。  では、今回はこの辺で!
  

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